ファミリア板野惇子ストーリー!「べっぴんさん」あらすじ公開

NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」に期待が集まってます

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2016年10月3日よりNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」

が放送されることが決まりました

この「べっぴんさん」は子供用品のファミリアの創業者

板野惇子さんの人生の物語を脚本家の渡辺千穂さんが

再構成して描いたものです

今回は戦後の動乱期を斬新なアイデアで道を切り開いて

来た板野惇子さんの成功へのストーリー

やNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」のあらすじ

合わせて記載していきます。

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ファミリア板野惇子ストーリー(実話)!

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板野惇子氏

ファミリア誕生秘話

1945年8月15日敗戦を迎えた日本は深刻な

貧困状態でした

そんな中ファミリアの創業者、板野惇子さんは夫の

道夫さんの消息も分からず幼い子供をかかえながら

不安な日々を送っていました

財政的に厳しかった板野惇子さんは

幼なじみの尾上氏にこれからの生活

についての相談を持ち掛けます

尾上氏は板野惇子さんに「これからの時代は

手に職をもって自分の手で生きていかなくては

ならない」と進言

さらにちょうどそこに居合わせた板野惇子さん

の父にも同様の事を促され、思わぬふたりの

意見に驚くとともに時代が変わったという事

を実感させられた。

そうこうしている内に

板野惇子さんの夫の通夫さんが帰国

1946年に夫の兄の借家に親子三人で

住むことになるが

金銭的に厳しかった板野惇子さんは

何か仕事を始める事を考えます

そして幼い子供がいることから家でも出来る

ということで洋裁の仕事をはじめました

最初は親戚や近所の人たちのために

仕立てなどをしていましたが

仕立て代を請求する勇気がなく

結局は品物などを受け取ったりしていました

元知人の提案

そして1948年の春、板野惇子さんは

お金を工面するために知り合いだった

神戸三ノ宮センター街の「モトヤ靴店」

そこで作ってもらった靴12足を

売りに行くが断られてしまう

ちょうどその時に板野惇子さんが作った

綿スエードの布地の定期入れ風

写真入れを店主の元田氏に見せたところ

元田氏はその写真入れを気に入り

自分の店「モトヤ靴店」の一部の陳列ケースを

貸すのでそこで板野惇子さんの手仕事

を売ってはどうかと提案します

そして夫の通夫さんの大賛成の元

この提案に板野惇子さんは同意

自分のクラスメイトの田村枝津子さんや

姉の田村光子さんと共に

「モトヤ靴店」内にてオリジナル

の子供向け手芸品の販売を開始しました

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出典:ファミリア

板野惇子さんは1942年当時、自分の子供の出産を

きっかけに西洋風の育児法と日本の伝統的な

育児法との違いを実感する出来事があり

3ヶ月間新しい育児法について勉強したという

事がありました

そして気付いたことは日本にある従来型の

ベビー衣料品はあまり赤ちゃんのことは

考えていないことがわかり

自分たちは赤ちゃんの立場に立って

の製品作りを目指すことをこれからのモットー

とすることにしました

この時に

「良心的で感覚の良いベビー子供用品の製造と販売」

というファミリアの基本的精神が生まれました

ベビーショップ・モトヤ・オープン

そして1948年12月4日にモトヤ靴店

内の2つの陳列ケースを使った商売を開始!

当時は戦後間もないということもあって

粗悪な製品が販売されていました

そんな中で

たまたま板野惇子さんは戦前に

英国製の生地や刺しゅう糸、毛糸など

良質のものをたくわえていました

そしてそれを使った商品を売ったところ

販売は上々で、オープンから3日目には

数か月かけてつくった商品が不足

する事態になりました

丁寧に作られた板野惇子さんたちの商品は

口コミで広がりたちまち評判となり

作っても作っても追いつかず

お客の前で刺しゅうを仕上げたり

する状態になっていました

ところがある時、大きな間違いを

していることに気付きます

売れている割には利益がほとんど

なかったということに・・

というのは板野惇子さん達は商売の経験がなく

値段の付け方を理解していませんでした

そこでそれを見かねたモトヤ靴店の元田氏が

商品の値段の付け方やその他商売について事細かく

指導をし、そのことによって板野惇子さん達は

反省と理解をし、

また同時に商売の難しさを実感したのです

そうこうする内にモトヤ靴店のにやってくる客

が増えすぎたために本来の靴の商売

に支障をきたして来たために元田氏が

板野惇子さん達に独立を進めます

たまたまモトヤ靴店の

横の3坪ほどの広さの万年筆店が

移転することになったため

そこにベビーショップ・モトヤ

一軒の店として構えることになりました

そしてしばらくした後、

神戸センター街とトア・ロードの角地にある

レナウンの店舗が撤収することになり

板野惇子さん達の仕事を会社組織

とした上でその空き店舗に移り

本格的な事業とすることになりました

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出典:ファミリア

そして1950年4月12日に

ベビーショップ・モトヤを解消、

株式会社ファミリアとして新たな出発になりました

ここまでが板野惇子さんが株式会社ファミリアとして

の出発までの道のりでした

板野惇子さんはさすがに戦後の動乱期

だけあって相当の苦労をされたと思いますが

同時に自分の希望を次々に叶えて

しまう夢を見させてくれます

そしてこの板野惇子さんのストーリーを

描いたNHKの朝ドラ「べっぴんさん」

にも期待が集まっています

それでは「べっぴんさん」

のあらすじを見ていきましょう

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「べっぴんさん」あらすじ公開!

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ヒロインの「すみれ」は昭和の初めに

神戸の山の手で生まれます

すみれ役の芳根京子さんの紹介↓↓

芳根京子オーディション荒らしで有名!朝ドラで評価される理由とは!?

会社を経営している父と姉の3人家族

すみれは早くに亡くなった母にならった

手芸が大好きでした

そして18歳で結婚、を授かります

だが戦争のため夫は出征、また家も焼けてしまい

その上財産は没収され途方に暮れてしまいます

そんな中、ある人からすみれが娘のために作った

服を見て「それを売ったらいいのでは」

とアドバイスを受けたことをきっかけに

子供服を作り始めます

そしてすみれの女仲間の助けもあり

その仲間の女性たちとともに起業

することになります

この起業に戦地から復員してきた

「男が働き、女は家」という観念を持っていた

夫の紀夫は猛反対します

でも、やがてすみれたちの「良いモノを作りたい」

という姿勢に共振して考えを変え、

すみれを支える生き方を選択します。

そして、すみれと紀夫はともに

「こだわりのモノ作り」に邁進

その甲斐があって宮内庁御用達になるまでの

評価を与えられます。

その後すみれは大きくなった娘と一緒に

日本初の総合子供用品店をオープンさせます

以上が「べっぴんさん」のストーリーです

すみれの考えかたや生き方は

まさに日本人の「こだわり」

を表したものといえるでしょうね

まとめ

このドラマの出演者はまだ決定してません

一体どういうメンバーで行くのでしょうか

楽しみです

このストーリを見る限り今回も大ヒットの

予感がします

少しずつ苦労に苦労を重ねて希望に向かって

進んでいくすみれのような人物は

日本人好みですからね

ここまで読んでいただきありがとうございます。